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コ  ラ  ム  U

 

 
 
16 情報過多に対処するには
 新聞の投書欄に若い人が書いてました。
 「情報の多い時代にあって、選択能力をどのようにして身につけたらよいだろうか」と。 その一方法は、博物館の通常陳列のときに行って古いものから観ることです。
 趣味があろうと無かろうと、わかってもわからなくても、とにかく静かに観ることです。そのうちに何かを感じるようになります。
それが感性です。
 博物館に無意味なものを置いておくはずがありませんから、いつ誰が何のためにこれを作ったのだろうと想像するのです。説明書を読んで理解すれば、それが知性です。
 沢山のものの中に、心に残るものがあれば、それが自分の好みです。好みが選択の基準です。
 情報は「情」を知ることです。気持ちは聞くものではなく察するものです。今の日本人は洞察力を失っています。
 洞察力を育てるには「なぜ、どうして」という好奇心を持つことであり、子供のうちは誰でも好奇心があった。しかし、ひとに聞いて答が得られなければあきらめてしまうのが普通で、それでは好奇心がしぼんでしまう。自分で探究するから洞察力が身につくのです。 外国のものでも、歴史を追って理解するのがよいのです。歴史は過去完了であり、その事実は変わりませんが、視点を変えることによって解釈が変わります。
 音楽の場合は、古典曲でも演奏の仕方で感じが変わりますから、古典文学で心を豊かにしておくとよいでしょう。
 新しいものは当座の生活分野と思えばよいのです。
 博物館の通常陳列をすすめるゆえんは、入場者が少なくて靴音が天井に響くような静けさの中で、動かない物を観賞するところに意義があるからです。
                                   2007.2.24


 
17 真善美
 真善美の三位一体はギリシア哲学です。この三つは、美の上に善が乗っており、善の上に真が乗っているのです。
 だから、美の判断が狂えば善悪の判断が狂い、善悪の判断の仕方が狂えば真実は見えません。
 聖書によれば、人間は神に似せて造られたとのことで、神が造った被造物の中で人間が一番神の姿に近いことになります。古代ギリシアに於ては彫刻に見るように、健康な肉体を美の基準にしています。ゆえに、洋画の勉強に人体デッサンは欠かせません。
 日本は自然崇拝ですから、神が造った自然の中に美を見ていました。
 このように民族によって美の基準が違っており、やがて個性の尊重とともに美は多様化して来ました。
 とはいえ、統一を必要とする決定的な美があります。それは衛生的美です。医学的に美でなければ用が足りないでしょう。
 同様に精神衛生的美もあります。芸術的解釈はどうあれ、精神医療の分野で判断することが必要でしょう。
 子供の絵を見て精神分析する例はありますが、芸術家の精神分析をする例はありませんので、そちらが問題です。
 感性を狂わせるような美が広まれば「何か変だナ」が「それも有りか」と思うようになる。感情は共感性や伝波性を持っていますから、他者に合わせてしまいがちになります。「それも好み」と言っていられません。
 善悪を判断するときも「何か変だナ」が「それも有りか」になってしまいます。情報の多さもあって、感覚が疲れてしまうのです。 悪いことをたくらむ人には好都合であり、さらには、情報操作によって判断を狂わせることも可能です。
 大きな課題でも小さな課題でも、対処は同じです。「変だナ」と思うことであり、それを誰かに言ってみることです。「だからどうなんだ」と言ってはいけません。
 善悪の判断に精神分析は当てはまりません。「責任能力が有るか無いか」などと言いますが、責任能力が無いのを「無責任」と言います。そして、「自己責任」と「社会的責任」は別です。
 スポーツは、ルール違反に対して罰則があります。選手の精神分析をするでしょうか。 「真理」は宗教や思想によって、それぞれの考え方があることでしょう。真理は探究し続けるものであって、これと決めてしまわなくても良いのではないでしょうか。
 「真実」を知るには、客観的な洞察力が必要です。
                                   2007.3.3

 
18 目的と手段
 親が子を育てるのに目的が有り過ぎても困るし、無さ過ぎても困るし。親の目的が子の目的と一致するのもよし、しないのも良し。 学校は、それぞれの段階に応じた目的があって教育しているはずだし。上級になるにつれ専門的になり、最後は社会で必要な人材になってくれるのを理想としているはずだし。 国には憲法で定めた目的があるし。というように、個人にも社会にも目的があって暮らしているはずです。そして、目的を具体化するために事業目的があります。
 国の事業目的は総理大臣が国会に提案し、国会議員が判断します。国の目的を国民の代表者が判断するのです。
 その国会を小泉元総理は解散しました。国会の解散権は天皇と総理大臣にあります。天皇は「ノー」と言いませんから、総理の一存です。これが私達の憲法です。
 国民は名君を期待します。しかし、国民が目的に関心を示さなかったら名君は生まれません。
 だから、どのような小さなグループでも、自分個人のことでも、目的を先に考慮しておくことが大切だと思います。
 「何のためにそれを必要とするのか。それは目的なのか方法なのか」よく考えないと方法が先行してしまいます。
 同じ趣味の人が集まれば目的は同じかというと、そうではありません。どのランクで楽しみたいかという個人差があるからです。
 目的は理想であり願いであり、方法(手段)は現実です。
 国会は理想と現実を一緒に議論するものだから、現実の損得に目が向いてしまう。損得は「あちらを立てれば、こちらが立たず」です。そのまま「イエスかノーか」で答を求めるものだから、はみ出す人が出てしまう。
 目的と手段を考えて下さい。
 「お金を稼ぐのは目的ですか手段ですか」 生活の手段です。
 ところが、金儲を目的にする人が現われて「目的のためには手段を選ばず」ということになる。「個人の自由だろう」と言う。社会は秩序を失い、人々はストレスを持つようになる。
 小さな気遣で秩序を取り戻すことは出来ると思います。
 話題が同じであれば友達です。
 目的が同じであれば同志であり仲間です。 話題はその場限りでよいけれど、目的は一貫性が必要です。
 先生と生徒は師弟です。生徒は弟です。
 家族は小さな社会であり、あるときは友達あるときは同志です。
 友達にリーダーは必要ありませんが、同志にはリーダーと仲間意識が必要です。
 平等と差別を誤解すると烏合の衆になります。
 渡り鳥は個々に卵を温め、個々が集まって群をなし、季節が来れば誰が号令するのか一斉に旅立って行く。この秩序の良さは何だろう。
 人間は、自分達で考えなければならないのです。「何のためにそうするのか」と。
 雅楽は、外来の雅楽を日本の雅楽に作り変えました。目的があって変えたのです。演奏を伝えるのは方法です。
                                   2007.3.15
19 年金と宝島
 年金制度は海賊の発想だと思う。農業国に年金は必要ないのです。
 海賊は船で戦うのが仕事であり、奪った宝を老後の生活資金にしなければなりません。それを、船長が一人占めにしてどこかに隠してしまったから宝島のドラマが始まるのです。 日本も、船長が年金をどこかに流用してしまったものだから、年金問題が起こりました。年金は国民の生活費であって、税金の使われ道とは違います。つまり、宝の箱は別です。これを一つにしたら、船長は都合がよいのでしょう。
 戦後の日本はアメリカの策略によって家族制度がこわされ、核家族がハイカラだと思い込まされました。老後は、気楽な年金生活が待っているはずだったのです。
 少子化も年金に影響しますが、年寄りの手助けがなかったら子育ては困難です。
 対策は定年を伸ばすしかありません。
 しかしこれは、国民感情を気にして政府からは言い出しずらいでしょう。民意がそちらへ向いて欲しいと思います。
 日本の海賊には、篳篥の音色に気持ちが和らいで、奪ったものを返してくれた話があります。雅楽を盛んにして、略奪や搾取のない世の中にしたいものです。
                                    2007.8.13

 
20 情報の行くえ三題
 日本で最初に出来たオーケストラは宮内庁(当時は宮内省)雅楽部で、指導者が充分ではなく大変苦労したようです。
 吹奏楽は軍楽隊が最初で、陸軍と海軍の双方にあり指導者にも恵まれていたようです。 明治時代の軍隊は、陸軍はフランスから指導者を迎え、海軍はイギリスから迎えました。それで、陸軍はフランス式のメートル法、海軍はイギリス式のヤード・ポンド法を使うようになり、今に至っているとのこと。
 陸軍は後日、指導者をフランスからドイツに替えたため軍楽隊の音楽用語もドイツ式になり、海軍はイギリス式ということになります。
 ドイツは「ドウア・モール」イギリスは「メイジャー・マイナー」。野球で「メジャー」と言うのは米国英語ではないかと思うのですがどうでしょうか。
 民間人がバンドをつくる場合は、ドイツ式とイギリス式双方の楽人から指導を受けた人が集まりますから、独自のミックス用語を使うようになります。大げさな言い方をすれば「情報の共有」です。
 軍隊に情報の共有はありませんでした。双方が競い合って技量を高めようと言うのは立派な心がけですが、そこに大きな落とし穴があったのです。
 競争が敵対心になり、双方がプライドを高めます。それが高じて、陸軍の兵と海軍の兵が道で会っても挙手の礼をしなくなったといいます。そして、そのまま戦争に突入していったのです。
 真珠湾攻撃に陸軍は参戦していません。海軍だけで戦争を始めてしまったのです。
 このようなズレが戦争が終わるまで続いたとのこと。そして、陸軍と海軍がそれぞれに得た情報についても、自分らの得た情報を主張して譲らなかったとか。
 結果としてそうなったのではなく、アメリカによって最初から仕組まれていたように思えてならない。
 それと、これはもしやあの人ではと思うのですが、右翼と財界に顔のきく人がアメリカへ情報を売っていたように思えるのです。
 情報屋というのは戦争のときだけでなく、平和なとき文化面に於いても存在するのですよ。日本はミックス文化の国です。日本の良さを根底に置きながら外国の文化を受け入れないといけません。
                                  2007.8.16

 
21 美しい日本
 このキャッチフレーズが多くの人々の共感を呼んだことと思います。
 美しものには誰しも目を止めるでしょうが、「日本」がつくと個々の思いが仲間のいる共感に変わり、安心感が伴います。
 「そうだ。そうあって欲しい」何をどうということではなくても期待したくなるのです。 ところが、期待がはずれると「汚いよ」と言うことになる。「汚いよ」は理屈ではありません。「合法的だ」と言っても通じません。決定的な「悪」になってしまいます。それが日本人の美学です。
 バブルの時期に「正義は金だ。貧乏は罪悪だ」という言葉を何度も耳にしました。しかし、バブル経済がはじけて、金儲けの仕方が「汚い」と言われたら正義ではなくなってしまう。
 明治には「勝てば官軍、負ければ賊軍」という言葉がありました。勝っているときはそれでよかった。
 太平洋戦争が受身になって、大本営発表がうそではないかと思われるようになって来たとき、軍は「玉砕」という言葉を使うようになった。
 日本には「城を枕に討ち死に」という滅びの美学がありますから、「軍部は汚いよ」と言われる前に、美しく滅びようと言い出したのです。
 「一億玉砕」とまで言った。国民が死に絶えると言うことです。軍隊は国民を守るためではなかったのか。
 自衛隊の模擬演習をテレビで放映したときのこと。
 日本国内で一人のテロが男性一人を拉致し、自衛隊員が銃をかまえてとり囲んでいる。記者が一人に聞いた。
 「撃たないんですか」
 「向こうが撃ってこないと、正当防衛として撃ち返せないんです」
 自衛隊は、国民を救出するために鉄砲を撃つのではないのか。自分の身を守るためだけか「汚いよ」
 桜は散っても美しいです。累々と横たわる兵士の姿を美しいと見る人はいないでしょう。あわれです。さりとて、彼等の死を美化すれば戦争賛美と言われかねない。
 戦争反対という言葉が聞かれる世の中で、「勝ち組、負け組」という言葉も聞かれます。変です。
 「美しい日本」のイメージを伝統の中から見つけ出して欲しい。
                                   2007.8.23

 22 自由と奴隷

 対語というのは漢字文化の民族が考え出した生活の智恵で、ヨーロッパには少ないようです。
 漢字の中に自由の対語を見つけられないのは、中国人は自由を求める以前に秩序を求めたからではないでしょうか。
 自由の対語は聖書の中にあります。奴隷でないのが自由です。キリストは「人は罪の奴隷である」と言いました。
 アダムとイブの罪を理解しない民族にとって、自由という言葉は別の意味を持ちます。
 「自分の好きなようにしてよい」と解釈してしまうのです。
 60年たって気がついた人もいるでしょう。「何が自由なものか」「奴隷扱いではないか」と。
 いつの時代にも貧富の差はあります。それでも「金は天下の回りもの」と言った。今は、どこかへ流れ去っていませんか。
 戦後の日本は武力支配も宗教支配も受けなかった。経済発展は戦後復興だった。それがいつの間にか、異民族による経済支配になっていると思いませんか。
 人間にも種属保全の本能がありますから、他民族には冷たくなりがちです。
 フランス革命もロシア革命も階級闘争ではありません。彼等の求めた「自由」は民族の解放です。
 考えるゆとりのある人は考えて下さい。
○世界の歴史は民族闘争の歴史です。―――なぜそうなるのかと。
○日本の歴史は民族統一の歴史です。―――いかにしてそれを可能にして来たかと。
 そして、もう一つ考えて欲しい。駐留軍がいるのに独立国なのか、友交国なのか、と。
                               2007.10.12

 23 品格について

 品性、気品などの表現もありますが、要は「品」です。「ひん」と読みますが「しな」定めと言った方がわかりやすいでしょう。
 「しな」と読む場合は品物であり、「ひん」と読む場合は精神的価値です。
 物には上手物(じょうずもの)と下手物(げてもの)とあり、下手物も芸術的味わいとして好まれます。上手物の最上位が「ひんが良い」と言われ精神性が問われます。
 昔は、絵画の価値判断に画品(がひん)が有るか無いかと言われました。
 画品のある画家の例を上げると、上村松園、小林古径、山口華楊、川合玉堂などなど。
 音楽で品格を気にするならば、楽器の音色を追求することになります。特に笙は品の良い音色が望ましい。
 しかし、品の良い絵を描くのが容易ではないように、品の良い音色を作る出すのも容易ではありません。
 昔も今も、品良くあるために各種のお稽古ごとをします。それが情操教育であり、芸術の分野です。
 公家が詩歌管絃を嗜(たしな)んだのも、品格を身につけるためです。「嗜み」には「慎しみ」の意味も含まれており、慎しみが稀薄になるとともに公家の時代が蔭り始めました。
 今の時代の大きな間違いは「使い捨て経済」から始まりました。三世代も続くと直ぐにはなおりません。捨てる物があまりにも多過ぎます。
 山も汚れ、海も汚れ、空も汚れ、汚染の中で暮して品格どころではないでしょう。
 品良くあるためには「散らかさない」ことです。
                              2007.10.21

 24 しつけについて

 うちは子供がいないから体験は語れないけれど、妻の弟の家で思いもしなかったことを知りました。
 隣の部屋で赤ん坊が泣いています。妻と弟は話に夢中。弟の嫁は台所にいて気にする気配もない。
 私が立って行き、子供を抱き上げると泣きやみました。とりあえず言ってみた。人のいる方を指さし。
 「向こうへ行きたいの?」
 子供はこっくりうなづいたのです。這い這いはおろか寝返ることさえおぼつかない子に通じたのです。まさかと思いもう一度言ってみた。
 「向こうへ行きたいの?」
 前より深くこっくりしました。
 たぶん、這い這いが出来るようになったら、自分の行動範囲を持つ社会人でしょう。片ことを話すようになったら、自己主張の出来る社会人です。親は、知らないことは知らないと答えなければいけません。
 「三つ子の魂百まで」と言いますが、大人になってから必要なマナーを、三才までに教えておかなければいけないということでしょう。
 お小言は手遅れで、しつけでも対話でもなく、親のグチに過ぎないような気がする。
 子供に絵本を読んであげる母親は良い母親です。これが、おとぎ草紙の意義でしょう。
 子供に「けじめ」を教える父親は良い父親です。それが判断の基準になるのですから。出来ない約束をしてはいけません。原因を確かめずにしかってはいけません。
 駅のホームで若いサラリーマンの会話。
 「家に帰って子供の寝顔を見ると疲れがとれる。子供って本当に親孝行だと思うよ」
 でも、子供は父親の喜ぶ顔を見ていないのです。
                               2007.11.3

 
25 感性について

 感性は知性に先行します。
 人は誰でも大人になれば自分が子供だったときの感覚を忘れます。
 子供は感性で物事をとらえ、知識を得てから頭の中を整理します。
 整理したものをマニュアルと言って、マニュアルを子供に教えるとマニュアル人間が育つのです。
 交通信号を守って車にはねられるのはなぜ。
 大切なことは理屈抜きで教えておかなければいけません。
 大人も感性を大切にするために、各種の芸事をするのです。
 感性が狂うと理性的判断も狂いますから。
                             2008.5.31

 
26 年金問題について

 小泉政権のときの国会中継について語る人がいないのはなぜ?
 年金が何兆円も流出して、野党の追求があります。
 小泉総理が答弁します。
 「投資なんだから、儲かるときもあれば損をするときもある。しょうがないだろう」
 たったそれだけ言って、下がって行きます。
誰も声が無い。ヤジでもいいから、「バクチは困る」と言って欲しかった。
 この穴埋をどうするつもりだろうと思った。
 結果は5000万件の記録漏れです。記録ミスは操作上のことであり、現金は残っていなければいけないのです。
 記録ミスか入金不足か受給者に聞くことになる。
 入金不足ならば、なぜ督促をしなかったのか。
 若い人が言います。
 「うちには年寄がいるから年金を納めているけれど、自分がもらえるとは思っていない」
 これが年金の現在と将来です。政府が何を考えようと。
                                2008.6.11

 27 ある展覧会にて


 高校の美術部の先輩が新企画の展覧会に出品し、それを観に行ったときの話。
 先輩の奥さんがお友だちと観に来ている。先輩は会の仲間と話をしている。奥さんが小さい声で言います。
 「お友だちが気持の悪い展覧会だって言うんですけど、どうなんですか?」
 答えます。
 「気持が悪いです。先輩のように曲がったことの嫌いな人が参加するような展覧会ではありません」
 主催も後援も大したもので、主旨も立派です。画家としては、ここに入選するだけでもステータスになるのです。
 絵を言葉で説明しても絵をイメージすることは出来ませんから、「気持が悪い」という意味を説明します。
 船酔の気持悪さを想像して下さい。船が揺れる自分が揺れる。正常な感覚が狂って気持悪くなる。
 絵にデフォルメ(誇張)は付きものですけれど、程度を越えると気持が悪くなります。 出品のどの絵も投げやりに描いたものではありません。これを描くのにどれ程の日数を費したものだろうかと思う。
 常識を越えるのも啓蒙のうちですから、それを時代の先駆と言うことになるでしょう。 船酔に慣れないと船旅は出来ません。
 しかし、常識の船酔には慣れないで下さい。ためらわずに「気持悪い」と言って下さい。変なものは「変だ」と言って下さい。
                               2008.6.20

 
28 裁判員制度に思う

 裁判員制度を国民の義務と言っています。
 義務には権利が伴います。権利放棄も権利のうちです。権利が認められず義務だけ要求されるのは奴隷です。
 奴隷が国民を裁くことになります。
 守秘義務はその道の専門職に言うことであって、専門外の臨時雇いには口止め料と言った方がよいでしょう。口止め料は契約時の駆け引きです。
 素人に法の知識はありません。家族や友人にも相談出来ず、一人で悩むとストレスが溜まります。
 裁判を煩雑にしているのは弁護士です。責任能力を問う必要はありません。責任能力が無いのを無責任と言います。責任を自覚させるため罰を与えるのです。責任を自覚しないで社会に戻ったらどうなりますか。
 情状酌量はあっても、裁判所が更正の可能性まで判断する必要があるでしょうか。更正は刑務所の仕事です。
 司法に絶対的基準はありません。相対的判断によるものです。
 裁判官も気持が揺れるから前例を頼ります。
この頃は、前例では用が足りなくなっています。
 裁判員の感性が頼りです。感性に自信はありますか?
                         2008.7.6

 
29 死刑を考えましょう

 死刑について賛否両論があります。
 死刑反対は、それ自体が結論ですから議論の余地はありません。国会で主張して下さい。
 「この犯人を死刑にすべきか否か」が選択の課題になるのです。刑法に死刑が有ろうと無かろうと。
 古今東西、死刑の例は沢山あります。死刑の無い例もあります。歴史を振り返り、死刑にしてはいけなかった例は沢山あります。死刑やむなしの例も沢山あります。
 帝政ロシアには死刑が無く、殺人犯も万引犯もシベリア送りでした。シベリア開発で働かせるのです。任期に差はあったでしょうが、過労で任期を待たずに死ねば、死刑と同じです。
 ヨーロッパの魔女狩は悲劇です。
 それやこれやをテーマにした文学小説は沢山あります。
 死刑は、その時代その国の社会通念によりますから、疑問を残して次の時代に移って行くのです。
 今、私達は、国民に課せられた難題として考えなければなりません。
 裁判所は、知識や理性で判断しきれないから国民に参加を求めているのです。つまり、国民の社会通念に頼りたいのです。
 通念とは、国民投票に該当する国民感情です。 
 国民感情としてどちらを選ぶかということですから、事件一つひとつに対処出来る感情を育てておかないといけないのです。
 冷静でいられるのでしょうか?
 いつ誰が、どの事件を言いつかるかわからないのですよ。
                          2008.7.16
 
30 世論とは

 政治を動かしているのは政治家ではありません。世論です。それが民主主義です。
 「一人で何を言っても、どうなるものでもない」などと言ってはいけません。
 誰かに話す。その誰かが別の誰かに話す。噂が広がるように伝わって行けばよいのです。
 署名運動は、呼びかける人達がいますが、要は集まった署名の数です。
 アンケート調査もあります。調査をしたくなるような世論の高まりになればよいのです。
 政治家は人気商売です。人気を得るための政策を口にします。当選したら、ころっと変わったのは過去です。
 平和ボケの時代は終わりました。
 いろんな問題が表に出て来ました。
 政治も経済もアメリカを頼りではいられなくなりました。
 一つだけアメリカを批判します。
 人種差別をする国が「世界に良かれ」のはずがない。
 私達は、自分達で世界の中の日本を考えなければならないのです。暮らしを守るために。
                       2008.7.19