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笙の研究 Ⅳ


                                     
 
19 リードの振動と笙の奏法
 先に釣竿の話をしましたが、今度は野球のピッチャーの話をします。
 ピッチャーは投げるとき体を後ろに反らし、投げの動作に入ると肩が前に出て、肘が前に出て、手首が前に出て、ボールを握った拳は手首より後からついて行きます。
 このような動きはテレビのスロービデオで見ることが出来ますし、手首のしなり(スナップ)が大事なのはおわかりのことでしょう。ボールを握る指はリードの説明には関係しませんけれど。
 釣竿の動きも同じで、竿の先は糸を引っ張りながら後から進み、手を止めると先端は糸を飛ばしながら前方に曲がります。糸をはずして竿だけを振ると、先端は手元より遅れてついて来る連続運動になります。
 さてここで、手首だけ早く振ってみてください。その早さで二の腕も前後させることが出来るのでしょうか。
 笙のリードも、先の方のしなやかな所だけ強く振動させれば、その動きに厚みのある部分はついて行けません。笙の吹き始めは静かに息を入れ、音が出るに従って強く吹くのは「先端をゆっくり動かしながら、その動きが厚みのある部分へ伝わって行くようにしているのです」
 今にして思えば、このような説明を日本雅楽会へ入ったときに大先輩から聞いたような気がします。吹き方だけ身につき、説明はおぼろになっていました。
 リードの揺れも、釣竿の揺れと同じように先端は元より遅れて動いているのです。もちろん、そうなるように作ってのことですけれど。また、先端が遅れて動くことによって息を替えても連続音になりやすいのです。
 笙とハーモニカの奏法の違いは、このようなリードの揺れ方の違いによるのだと思います。だから、ハーモニカのピアニシモは音楽として求めるピアニシモであり、笙のピアニシモはリードを振動させるためのテクニックです。
 ハーモニカのリードは平ですから、先端の揺れがそのまま元の方へ伝わると思いますし、製作も一律で済みます。しかし、笙のリードは削り面が傾斜していますから、傾斜のつけ方に作る人の個人差が出ます。傾斜の差が少なければ、音も奏法もハーモニカに近くなります。
 私は、丸一年毎日毎日リードだけ削っていたことがありました。吹いては削り吹いては削り、ほかの仕事は何もせずに。そして思い至ったのが物知り先輩の言葉です。
 「吹き始めは軽くて、吹くに従って抵抗感が増して来るのが良いリードであり、吹き始めに抵抗感があって、強く吹くところで抵抗なく吹けるのは良いリードとは言えない。」
 初心者にとっては後者の方が吹きやすいので、その方が良いリードだと思い込んでしまいます。もちろん、後者も笙の音はするのですが「蝉の声」がするかどうかというレベルの差があるわけです。
 篳篥のリードは見せてもらうことは出来ますが、見て楽しむ性質のものではありません。しかし、作る人の経験の差によって見た目の美しさに格段の差があります。それがそのまま音の美しさになっています。自分で吹きながら修得した成果でしょう。
 笙のリードは外からはまったく見えませんし、吹く人も自分で調律しない限り、リードの裏側を見ることはありません。吹く人は吹くだけ、調律をする人は調律をするだけ、リードは作る人まかせ、というのがほとんどでしょう。
 蝉の声を求めて
 リードの試し吹きをするとき、単音で吹いて「あゝ、鳴っている」だけではダメです。笙という楽器は、基本的には単音で吹く楽器ではありません。なぜならば、単音では蝉の声にならないのです。
明治時代の多忠龍楽師の書物に「蝉がジェージェー鳴いている中にチィーッという高い音が聞こえる。それをねらって作る」と記してあります。蝉の声はジェージェーで、それではないチィーッという高い音だと言うのです。つまり、実音ではなく共鳴音ということです。
 だから、笙も実音ではなく共鳴音を追求しなければいけないはずです。
 七・行の音がなぜ通奏音なのか、なぜすべての合竹に七・行が含まれているのか、ということを考える必要があります。この七・行が蝉の声を誘因するに違いないのです。
 蝉の声を求める手順は、まず「七」の音が「湿った音か、乾いた音か」「籠もった音か、フッ切れた音か」を追求します。湿り気のある音は篳篥や龍笛にまかせて、笙の音は夏の青空に響く蝉の声が理想なわけです。
 次に「七と八」の音を合わせて吹き、同時に鳴り出すようにするのがバランスです。バランスが良ければ、静かに吹きながら耳を澄まして聞きます。七の音でもない八の音でもない別の音が「チィーッ」と鳴っていたら、それが蝉の声です。聞き分ける方法は「八」を鳴らしてその音を意識しながら「七」を加える。「八」より高い音が鳴るかどうかということです。
 聞こえなければ、まだ「しなり」が足りないのです。空鳴を気にすることはありません、蝋を詰めればよいのだから。こんなに薄くしてよいのだろうかと思ったら、弁の長さや巾を気にしてみることです。
 次に、「七と行」のバランスを合わせ、あとは七・行を基準にバランスを整え合竹で吹いてみる。
 蝉の声といえば謎めいて聞こえますが、共鳴音の一種だと思います。昔の人は、蝉の声に聞こえるような共鳴音を求めたのです。私も追求の結果わかったことで、二つの音のほかに「第三の音」が鳴り出すという原理はわかりません。
 人の耳には単音の方が聞き取りやすく、複数になるとわからなくなってしまう。わかる人は聞き慣れたのです。
 さて、リードを作る以前に大切なのはサワリです。平安時代の人達が、なぜ日本製のサワリを作ろうとしなかったのか残念に思います。日本製のサワリは、個々には研究したり作られたりしているようですが、力を合わせて普遍的なものを作ってくれることを期待します。
                               2005.5.8
 
20 良いリード
 雅楽の仲間にコーラスをする人がいて、指揮者の言葉を聞かせてくれました。
 「声が溶け合っていれば自分の声は聞こえないものだ。自分の声が聞こえるのは地声が出ているのであって、発声を直さなければいけません」
回りの人の声は聞こえると思います。でも、その人達も自分の声は聞こえないのです。
 笙も同じです。それは別項で記した通りですが、音が溶け合うとはそのようなことなのです。音が小さくて聞こえないのではないし、無音になるというのでもありません。自分の鼻先で鳴っていないで、耳を澄ませば頭の上の方で鳴っているのがわかります。
 コーラスに於いて真っ先に解決すべきことが、笙にとっては非常に困難な課題になります。
 一つは、自分でリードを作れないこと。もう一つは、笙という楽器に対しての先入観が捨てられないことです。
 まず、初心者は自分の音が聞こえないと不安に思えるのです。吹いている実感がつかめないのですから。そして、自分を主張したい人にとっても不満に違いありません。
 コーラスは個人を主張する音楽ではないし、雅楽も同様です。洋楽には個人を主張したい人のためにソロの曲があります。雅楽もこの頃、ソロ活動をする人が多くなりました。
 コーラスを楽しむ人も雅楽を楽しむ人も、自己主張がないかと言えばそうではありません。ソロも出来るのですから。
 自己主張をしながら「和」があるのです。誰かに従うだけというのは「和」ではなく「従」です。
 雅楽は「主管に合わせなさい」と言います。主管に合わせるのは「従」ではなく「合」です。実力が身についていないと合にならず従になります。
 話し合いも「合」です。話し合いにはルールが必要で、ルールに従ってテーマをデスカッションして統一見解を出します。
 次に、笙を作る人の課題です。
 笙の「和音」を「合竹(あいたけ)」といいますが、「合」ですから共に出る音が対等でなければ、つまりバランスが良くなければいけません。しかし、バランスを整えようとすれば、製作日数が二倍必要です。
 さらに、自分の笙の音が聞こえなくなるという現象を理解するためには、作った人も合奏に参加してみないと実感がつかめないでしょう。これも厄介な課題だと思うのです。
 吹く人が、自分でリードを作るのが理想です。
                   2005.5.28

 
21 私の調律
 行(430hz)乙(645hz)を合わせた上で。
     乙八七

      七一下千

      下千・言

      下言・工

      工下・美

      工美

      行乞乙

      行凢乞

      行上凢十

      行上十

      十上・比

      十比・行

      行比八

      行八・乙

      乙七一十

      七一・凢・下

      七乙・八

 [一凢]を合わせたとき、[凢]を微妙に(2~3hz位)下げ、[上]も[凢]に合わせて下げる。
 [一凢]は一の合竹に使う音であり、[凢]を下げた方がスッキリするような気がします。逆に[一]を上げると、[七]も上げなければなりません。
 [七]の音程は大事ですから動かしたくない気持ちがあり、私は[凢上]を下げています。

 笙もピアノと同じ平均律の楽器ですから、どこかで「ごまかし」が必要になるのです。箏も同じです。ギターも同様ですが、琵琶もクロマチックチューナーで合わせただけではダメです。
 ごまかしは聞こえが悪いので[ひずみの解消」と言いましょうか。

 調律が出来たら、音取風に気替を交えながら続けて吹くと楽しめます。「・」は「下千」を残し、「言」を加えるという意味です。アドリブを交えるのもよいでしょう。                                                    2005.5.28

 
22 初めて合奏をする人のために
 私も最初は面くらったものですが、同じ思いをしている人もいるようなので書くことにしました。
① 越天楽のようにメロディーのわかりやすい曲でも、笛や篳篥のメロディーに接すると、とまどいがあります。笛も篳篥も、笙の唱歌のように息継ぎをしません。洋楽で言うシンコペーションのように、次の小節へ音が続く奏法があります。
 洋譜の付いた解説書もありますので、目を通しておくのもよいでしょう。
② 雅楽は、どの曲も笛の音頭(おんどーーイントゥロ)があって、太鼓の印「●」大きな黒丸から皆で吹き始めます。この場所を付所(つけどころ)と言います。
 曲によって、あるいは演奏形式によって一つめの太鼓(初太鼓という)から付ける場合と、二つめの太鼓(二太鼓)から付ける場合があります。これは、その都度先輩に聞くとよいです。
 「加え」といって曲の途中から太鼓の印のない所もうちます。曲によって入り方が違いますから、ゆとりが出来てから打物譜を見るとよいでしょう。
楽譜には印がありませんが「●」印より二拍前、つまり前小節の三拍目にも太鼓が入る形式になっています。先の音は小さく「ズン」「●」の音は大きく「ドゥ」と打ち分けています。
 笛の音頭に合わせて鞨鼓が打ち始めます。最初から聞き分けるゆとりはないでしょう。練れてから聞くようにして下さい。
 太鼓の「ズン」が鳴り、四拍目あたり、つまり「付所」の一拍前あたりから笙の主管が吹き始め、続いて皆が一斉に吹き始めます。 笙を構えるのは「付所の一小節前からゆっくり持ち上げ、三拍目の太鼓のズンのときに口に届くように」と私は教わりましたが、会によって差があるようですから主管に合わせるとよいのです。ただ、主管を見ていると気が散りますけどね。
 付所で、洋楽のように全楽器が同時に音を出すかというと、そうではありません。鞨鼓や太鼓は管楽器の音を聞いてから打ちます。これが雅楽の出だしですからあわてないように。このとき拍を数えるのには笛が頼りです。③ 合奏は篳篥のメロディーに耳をこらすことです。そのためには暗譜しておくこと。楽譜を見るとしても、チラッと見る程度で済むようにしておかないと、楽譜に気を取られて耳がお留守になります。
 笙の唱歌と篳篥のメロディーがすべて同じというわけではないので、途中で迷子になっても、どこで違ったか覚えておくと次に吹くときに気をつけることが出来ます。
④ 手移りは無意識で動くようにしなければいけません。考えながら動かしていたのでは篳篥を聞くことが出来ませんから。
 「ウウンジャ」は最初から揃わなくても仕方がありません。篳篥を聞くことが出来るようになればわかって来ます。
⑤ 気替は、息を替えるときの音が目立たないように、篳篥の音に隠れるように篳篥が吹くのを待って気替をします。最初は気にしきれませんが、これが正式だと知っていて下さい。
⑥ 曲のテンポです。
 個人レッスンのときは、唱歌も笙を吹くときも合奏より早めにしているのが普通です。お弟子さんが多ければ、先生も時間を短縮しなければなりませんので。
 そのテンポを身につけて合奏に参加すると、とまどいを感じたり息が苦しくなったりします。
 そのための練習方法。
 時計の秒針を見ながら、一行(越天楽の八小節)を一分で吹くのです。吹いて吸って15秒、ズレがあってもかまいません。おおむね一行一分です。
 雅楽は、ゆったり吹き始めて少しずつ早くなりますが、一行一分と思って練習しておけばたいがい対処出来ます。
 ある程度合奏に練れてくればわかることですが、雅楽は洋楽のようにテンポやリズムがキッチリしていません。このテンポの揺れを「大波小波」といいます。
 篳篥を吹く人の曲の解釈や気分によりますので、同じ気分になればよいのです。
 「引」に関しては、宮内庁楽部の先生方は「苦しければ目立たないように気替をすればよい」と教えてくれます。ただ、四拍の息遣いで八拍吹ける道理はないので、「引」は音は小さくなるものと思って下さい。
⑦ 笛の音頭を聞いていても拍は数えられません。そこで、笛の一行目を笙の一行目の横に書き込むとよいのです。
笛の人に楽譜を見せてもらい、レパートリーが増えるごとに書き加えるとよいのです。そして、ついでに、音の続くところ切れるところを教えてもらうのです。笛の楽譜にも「。」印がついていますが、「。」印で切れるとは限らないからです。
 笛の譜はカタカナですから、音を聞きながら見ていれば何となくわかって来ます。曲によっては笛の楽譜に書いていない音が入る場合がありますから、笛の人に聞いておくのがよいでしょう。
⑧ 陪臚の出だし、 十十_下引。は、 二拍四拍ですが、 笛の音頭は四拍四拍に聞こえます。気にしておいて下さい。
 合奏は、ひとの音を聞く練習であり、雅楽は、人の音を聞いて楽しむ音楽です。ゆとりを持って楽しんで下さい。
                     2005.6.25

 23  笙の調律ABC
  
A 微調整
 オモリを調整してピッチを直す。
 調律して半年もすると、青石が飛んだり、
オモリの蝋が乾燥したりしてピッチが上がります。それで、とりあえず蝋を付けます。

  B 洗い調律(メンテナンス)
○ リードを洗う。振動弁のゆがみを直す。オモリをつける。青石を塗る。竹につける。微調整をする。
○ 場合によっては、屏上を開け直したり、舟底に蝋を詰めたりする。
○ 一年に一度のメンテナンスが必要とされています。

 
 C リードを削り直す(リフォーム)
○ 重いリード、バランスの悪いリードを削り直す。
○ 削る部分は主に中間より先で、しなり具合を良くします。
○ コの字の透間が広すぎると、青石が余計に必要となり振動が重くなる。しかし、カミソリの刃が差し込めないほど狭いと、塗った青石が振動をさまたげてしまうから、削らなければならない。
○ リードの構造によっては直せないものもあります。
○ リードの長さも作る人によって差があり、大簧小簧を問わず短いリードは手を加えずらい。
全体にゆとりがないのです。
○ 枠が薄いのはゆがみやすく、音が片寄りやすい。この片寄りは直せない。
○ 振動弁が薄い方が振動しやすいのだけれど、音のバランスを気にしないで薄くしてしまったのは、手を加えずらい。
○ 舟底が浅すぎて風圧の弱い場合は、リードをやわらかくしても限度があります。(竹を削りすぎているのであり、調律の作業をするのに折れそうで気が気ではない)
○ リードを全取り替えする人もいますが、取り替えてもバランスが良くなるとは限りません。たとえリードの作りが一律であっても、竹は一本一本響き具合が違いますから,竹に合わせてリードを削り直さなければならないのです。
○ 一般に調律といえばBの洗い調律までで、Cの出来る人は限られます。
○ 竹のリフォーム
 竹にヒビが入っていたり、竹が痩せてゆがんだりした場合も、音が出なかったり音を合わせずらかったりします。それなりに修理が必要です。
 たぶん、これをするのは私だけだろうと思いますが、「下」や「比」の指孔の回りを削り直すことがあります。おそらく、穴の回りを削る意味を知らずに削っているのでしょう。特に「比」の場合は、リフォームのしようがない例が多いのです。
                      2005.8.8


24 調律の裏話

 私のところへ調律に持って来る人は、吹きやすくして欲しいと注文をつけますから、リードに手を加えます。
 吹く人の依頼ですからそうするのですが、よそ様の作ったものを作り変えてしまうのは作者に失礼なことです。
 私は吹く人へのサービスと思い、調律代以外は頂きません。
 とは言うものの、完成品に手を加えるのは流儀の違いもありますから、高度の技術も必要で手間もかかるのです。
 手直しをするリードの出来が悪いのではありません。どうしてこんなに綺麗に出来るのだろうと思うのもあります。でも、美しさと音は別です。
 機能を備えた美を機能美といいます。笙は和音を受け持つ楽器であり、それも特種な和音ですから、聴きわける耳作りが必要です。 私の吹いていた笙のリードは私の師匠の岩波滋先生に付けていただいたものですから、お手本が手元にあるのです。
 良い音の笙は、一人で吹いていても楽しいものですよ。
自分でも笙を作ってみたいと思うようになり、それが出来てからは自作の笙で演奏活動をしました。そして、リードを削り直したり取り替えたりしながら音を求めました。音を探求する喜びを感じます。
 私の体験で言うならば、リードは吹く人が作るのが理想だと思います。篳篥の人達が自分でリードを削っているように。
 今は、ホームページでの調律は受けていません。自分流の笙を作るのに時間をかけたいので。
                        2007.2.11

25 笙はどのように不協和音か

 笙の調律は「行(A=430Hz)」を基音に、3度5度8度で合わせます。
 笙の和音は基本的には十種類で、そのいずれにも「行(A)」ど「七(B)」の二つの音が通奏音として入っています。
 その十種いずれもが「行」を中心にした3度5度8度に該当する協和音と、「七」を中心にした3度5度8度に該当する協和音との二種類を一つに合わせたものです。
  乙(E)音を基音とする和音の例。




 つまり、どの和音の組合わせでも、図のように「行」列では協和音であり、「七」列でも協和音ということです。二列を合わせて不協和音になるのです。
 ところが「工(C♯)の一音だけは「行」列に対しても「七」列に対しても不協和音です。この「工」の音が入った「工和音」は本当の不協和音になります。
 それがため、越殿楽を習い、三行目になって「工」の和音に出合ったとき、異和感を感じるのです。指を押さえ違ったかと思う人もいることでしょう。
 おそらく、このような不協和音を入れることによって、単調になりがちな気分に刺激を与えるのではないでしょうか。
 笙の不協和音が心地よく聞こえるのは、一本一本の音が稚拙だからです。稚拙とは子供じみている素朴で純粋な味わいがあるということです。
 だから、笙を単音で奏するのは特種な奏法ということになります。
 笙の和音は6音、ときには5音ですが、この音のほかに他項で記したように「蝉の声」と呼ばれる共鳴音が鳴ります。
 蝉の声が鳴るのはリードの削方によりますから、どの笙も蝉の声がすると思わないで下さい。
                     2008.2.29

  
26 調律の裏話(2) バランス

 バランスの良い笙はどの程度のものか、ということを知らないと比較にならないでしょう。
 笙の吹き始めに、パラパラッとアルペジオ風に鳴り出す例が多く、これが笙の特質だと思うのは間違いで、バランスの良い内には入らないのです。
 リードを作ることの出来る先輩が言いました。「六つの音が揃ってシャーッと鳴り出すのが良い笙なんだ」と。
 そのような笙を持っている人はいますし、私もそのように作っています。
 吹き始めのアルペジオ風は面白い味ですが、気替をしたときに揃わないと不都合です。音が揃う強さで吹きますと、四拍目を強くするのに努力がいります。
 でも、そのようなリードが好きな人もいますから、それはとやかく言いません。
 一般には、年をとって息が続かなくなり、吹くのをやめてしまう人もいます。
 「良い笙は年をとっても吹くことが出来る」という話を耳にします。
 バランスが良く軽く吹けるのです。
 この「軽く」というのを、リードが薄くてたよりないのではないかと思う人もいるでしょう。篳篥の年配者が「リードを薄くして軽く音が出るようにしないと息が持たないし、リードが弱くなって長持ちしないし」と言っているのを耳にします。
 笙のリードも同じだろうと思わないで下さい。篳篥のリードは葦ですから、表面の強い繊維を削って弱い繊維になっているのです。 バランスをよくするにはどうするか。
 それは、吹く人と作る人のコミュニケーションです。
                    2008.3.10

  
27 調律の裏話(3)片鳴り

 リードが片寄って、音が片方が強く片方が弱く鳴るのを片鳴りと言って、吹く上で気分のよくない現象です。
 笙の研究の冒頭で説明しましたが、調律に出して直してもらえたらと思うことでしょう。 竹を抜いてリードを見ると、青石を塗った弁のセンターに線が引いてあります。これは片寄った弁を針で押すためのものです。
 線がないと、針で押したところがプツプツと点になり見た目が悪いから、線の上を押さえるというわけです。でも、実際には線からはみ出してしまいますけれど。
 とにかく、このような線を引いておきたくなるほど、片寄りが多いということです。押し過ぎるとリードをはずして裏から押し返さなければなりません。
 片寄らないリードもあるのですから、そのような状態にすればよいわけですが、見落しがあるのか、合金の混ざりに差があるのか、一様にはいかないものです。
 吹かずにいても片寄ることがありますが、記憶合金のように削ったときのゆがみに戻って行くのかと思います。癖を忘れさせなければなりません。
 一時しのぎではなく、元から解決しなければきりがありません。洗い調律のたびに根気よく対処することになります。
 直せないものもあります。リードの枠が薄過ぎる場合、作った人がリードの構造に思い違いをしている場合、などは息の力で片寄ります。これらは、リードの取り替えも考えなければならないでしょう。
                  2008.4.3

  
28 調律の裏話 (4)蜜蝋
 
 蜜蝋の説明は「質問箱6オモリが取れやすいのはなぜ」でしましたが、追加します。
 ローソクの蝋と違うところは接着力で、時がたつと乾燥して接着力を失うと説明しました。
 もう一つは、寒いと固くなり接着力が弱くなります。
 冬、又は夏でもクーラーで冷えているとき、しっかり暖めずに吹くとオモリが取れます。たぶん、鳴らない音があるのに力を入れて吹くからでしょう。
 暖め足りないと緑青石も飛んだりして、わずかなりにピッチが上がります。それでも息漏れが気にならない程度なら、オモリの微調整をしながら吹き続けることは可能ではありますが、、、。
 調律者にとって困るのは、緑青石は年月がたつと金属にこびりついて水洗いでは落ちなくなることです。
 カミソリで削りますが、その手間が余計です。
 透き間の取れ残りは揮発油で洗いますが、これもスンナリ取れません。
 「調律は一年に一度するように」と先生に言われ、そういうものなんだと思いました。 なぜ一年ごとの調律が必要かというと、蝋が乾燥すればその分だけピッチが上がりますし、緑青石も前期の通りです。
 しかし、世間では一年で調律に出す人は少ないようです。わずかなズレですから、気にしないでいると耳が慣れてしまうのです。
 私はバイオリンを奏いていましたから、自分で音を合わせられない楽器の不便さを痛感しながら、一年が待ちきれない思いでした。 毎年調律出来ない事情もあるでしょうが、身近に調律の出来る人がいるならば、こまめに微調整をしてもらい、美しい音程を楽しんで欲しいと思います。
                     2008.4.22